hydrangea --riri blog--

1992年生まれ。職業は看護師。

いじめられていた中学時代の思い出

皆さんには、いじめられた経験やいじめた経験があるだろうか。

 

約27年間生きてきて、人間関係で一番悩んだのは中学生の時だ。中学の吹奏楽部で、私はいじめられていた。いじめの主犯格だったA子は、いわゆる「サバサバ系女子」で、「私好き嫌いハッキリしてるからごめんね」と周囲によく言っていた。

 中学生というのは多感で複雑な時期で、さらに吹奏楽部というのは女子生徒が多いので、人間関係がドロドロしていたものだ。

 

自分で言うのも変な話だが、中学生の頃の私は「THE 優等生」。成績は常に学年で1位2位を争っていたし、先生にも従順で真面目な生徒だった。2年生になると、生徒会選挙に当選し、生徒会の役員にもなった。生徒会の仕事が忙しい時期は、部活に遅れることや、行けないこともあった。それがきっかけだったか、A子たちに陰口を言われるようになった。「生徒会だからって調子に乗ってる」とわざと聞こえるように言われた。仲良しだと思っていた友達に、当時好きだった男の子の話をしたら、次の日には部活のメンバーにその話が広まっていた。部室の私の席に「○○(好きだった男の子の名前)はあなたのことなんか好きじゃないってよ」と書かれた手紙が置かれていた。部活の他の同級生たちからも無視されるようになった。同じ楽器のメンバーで、唯一優しくしてくれていた子がいたが、その子がおどおどと他の子の目を気にしながら私と会話してくれているのが、本当に居た堪れなかった。部活で孤立しているという噂は吹奏楽部以外のクラスメイトにも広まっていた。「〇〇(私)は吹奏楽部でいじめられているらしい」と。そうなると、他の関係ない子たちもヌルッといじめに加担してくるのが中学生。ついに部活以外の時間さえも苦痛となってしまった。地獄だった。

 

孤立した私は、度々部活を休むようになった。体調不良を理由に部活を休んだ。でも、親に心配をかけたくなかったから、授業の後まっすぐ家には帰れなかった。自転車で川沿いをぼんやり歩いたり、公園で勉強したりして時間を潰した。部活が終わる時間になると、ウォークマンGLAYの「軌跡の果て」を聴いてぽろぽろ涙を流しながら、家路に着いた。家では努めていつも通りに振舞った。

 

先生から親に話が行くのも嫌だったし、部活のズル休みも長くは続けられなかった。でも、自分ではどうしようも出来なくなった私は、生徒会の顧問の先生に初めて相談した。親には言わないでくれ、と頼んだ。先生は放課後、私とA子を呼び出し、二人で話をさせた。

 

私はA子に「仲間外れにされ、無視され、居場所がなくなってつらかった。何か嫌な思いをさせてしまったことが原因なら、それを直接私に言ってほしい」と話した。A子は言った。「〇〇が生徒会に入ってから調子に乗っていると思った。私だけではない、みんなが言っていた。特に何かされたわけではない」と。A子の言い分を聞いて私は愕然とした。彼女は終始「みんなが言っている」と主張していたのだ。この期に及んで、その主張の仕方は卑怯だ。正々堂々と自分の言葉で話をしろ。そう思った。結局先生が間に入ってくれて、私に謝罪し、今後嫌がらせはしないと約束してくれた。

 

その日は泣き腫らした顔で帰宅したため、さすがに母から事情を聞かれてしまった。母に知られるのは本当に嫌だった。大泣きで、今まであったことを話した。妹もいるのに、自分が嫌がらせを受けていた話をするのは情けなかった。まだ小学生だった妹に「〇〇(私)ちゃん、いじめられてるの?」と無邪気に聞かれて、胸が鈍く痛んだのを今でも覚えている。

 

A子と表面上の仲直りは出来たが、元のように笑顔で過ごせる日々は訪れなかった。目立たないように、苛立たせないように、周りに合わせて愛想笑いする日々だった。A子以外は、徐々に私と話してくれるようになった。

 

しかし、いじめはなくならなかった。今度は、私に嫌がらせしていた5~6人のメンバーのうちの一人、B子が孤立し始めたのだ。やはり主犯格はA子だった。私がされたのと同じように、B子は無視され、陰口を叩かれていた。居場所を奪われたその子も、私のように部活を休みがちになった。その時少しだけ、「ざまあみろ」という気持ちになった。「あの時私のことも無視したよね?」と思った。でも、それ以上に、いじめがなくならないことが気味悪かった。異常だと思った。

 

何がきっかけだったのかは分からない。ささいなきっかけだったのだろう。いや、きっかけなんてなかったかもしれない。ここまでくると、対象は誰でもいいのではないか。A子軍団は、誰かしらをみんなで批判したりすることで団結しているように見えた。A子は、ちょっと前までいじめの対象だったはずの私に言ってきた。「B子のこと、無視しようよ」と。私は自分がいじめられたときから、あまり友達と群れなくなっていたし、何かが吹っ切れていた。私は新たにいじめられ始めたその子を、ちょっと前まで私のことをいじめていた相手ではあるが、助けたいと思った。とにかくB子を一人にせず、毎日話しかけた。帰りも一緒に帰ろうと誘った。部活の昼休みは一緒にお弁当を食べた。B子は、ある日私の前で泣いて謝った。「○○(私)ちゃんがこんな思いしてたなんて知らなかった。今までごめんなさい」と。

 

その後の詳しい経緯は覚えていないのだが、卒業までにはいじめはなくなっていたと思う。だが、A子と最後まで分かり合えることはなかった。違う高校に進学したA子と、高校の時にレンタルビデオ屋でばったり遭遇した。「久しぶり」と話しかけようと顔を見たら、全力で嫌な顔をして逃げられた。あの時のこと、どう思ってる?なぜ、私やB子が傷付かなきゃいけなかったの?いじめをした経験が、今の人生の役に立ってる?そう聞いてみたかった。

 

 

実は3年前にこれを書いていたようで、久しぶりにはてなブログを開いたら、この文章が下書きにしまってあった。今私は30歳となった。結婚もした。成人式の後の同窓会でチラッと顔を合わせて以来A子とは会っていない。A子も結婚したのだろうか。30歳だし、もう子どももいるかもしれない。愛する子どもに、どんな顔で「人の嫌なことはしちゃいけないよ」としつけるのだろうか。中学時代のことなんてさっぱり忘れて幸せに暮らしているかもしれないが、私の心の中の「中学時代」のフォルダは黒いインクで雑に塗りつぶされたままだ。

 

#いじめ #中学時代